家にいる時間がなにしろ長いもので、せっせとお部屋の片づけにいそしんでます。
たまに新たなやる気燃料投下のために見るyoutube番組がいくつかあって、そのうちの1つはアメリカの番組「Hoarders」。日本語にしたら「ため込む人」という感じであろうか。
これはたぶんTV番組だと思う。毎回決まったパターンがあって、まず本人の自己紹介。なぜため込むようになってしまったのか、それによっていかに生活に支障が出ているか、などを短く語る。その後で家族が2~3人ほど出てきて、本人との関係、いかに心配しているか、などを語る。
そしてカメラは問題のゴミ屋敷内部へ。いや~、例外なく広い一戸建てに1人で住んでるパターンで(同居家族がいたらとてもじゃないがあそこまで放置されないだろう)、なにしろ広いもんで物の量が半端じゃない。
片づけは本人と家族も参加する。(たまに本人がヒステリックになって「全部元に戻してくれ」みたいな修羅場になったりする)
さて、別の番組は日本の「ゴミ屋敷パートナーズ」という会社が運営しているチャンネル。これには絶対にご本人は出てこない。「ゴミ屋敷」だなんて(たとえ本当にそうでも)失礼じゃないのか最初は気になったが、依頼主も自分の家が自力ではもはやどうにもできないゴミ屋敷であることを認識した上で依頼している。というか、他の「ゴミ屋敷」を片づける動画を見て自分も何とかしてもらおうと一念発起して依頼しているのだろうというのが、顔出ししないまでも感じられる。事前に残すもの、捨てるもの、手をつける部屋、つけない部屋の打ち合わせがなされていて、本人は片づけに参加しない。
毎回驚くのが、おそろしいゴミ屋敷なのに(相場はよくわからないが)格安だと思う。からくりは、動画をyoutubeにUPすることを許可してもらって収益につなげているのと、あとはきっちり仕分けをして、比較的きれいめの衣服や調理器具など、海外でなら販路があるものは販売させてもらっているのだと思われる。ずっとカメラが回ってるせいもあるが、本当に良心的で小銭や通帳などはきっちりご本人に返すboxに入れるし、段ボール類もしっかり仕分けしている。
ざっと概要はそんなところで、面白いのが両者の違い。
先ほども書いたがアメリカは家が広い分、量がハンパない。コンテナにどんどん入れていって、広い庭に搬出し(さすがに近所の目があるためか、庭はキレイなことが多い)、フォークリフトで大型トラックに投げ込んで搬出。
対する日本は、狭いアパートやマンションなのでいくらなんでもアメリカのようにはならないが、長年踏み固められたゴミが掘り起こされて膨らんでいくので、いくら掘っても掘っても床が見えてこない。足場の不安定な場所でひたすら70リットルのゴミ袋に詰めては搬出、の繰り返し。窓を開けると近所から苦情がくるらしく、基本的に閉めきった室内で、エアコンどころか電気もつかない部屋で作業することになる。
やたら小銭が出てくるのが日本。キャッシュレス化が遅れているのをこんなところでも感じる。
アメリカの依頼主は経済的には破綻しているのではないだろうかと毎回思う。不要だとわかっていても買うのがやめられないというケースが多い。靴が300足もあって、さらにクローゼットから箱に入ったままの新品がごっそり出てきたりする。
日本は、経済的には意外とちゃんとしている気がする。ちゃんと会社では普通のサラリーマンで、頼まれた仕事は断れないタイプの「いい人」な気がする。なんとなくだけど。で、忙しくてゴミ出しする暇がなく、食生活はコンビニ一色で、ゴミもストレスも内側に溜めてしまう。ある日水道が壊れる。部屋が汚くて業者が呼べない。仕方ないからスポーツクラブでお風呂に入る。ある日電気がつかなくなる。業者が呼べない。だんだんゴミがひどくなり、寝る場所がなくなり、別の部屋を借りる…みたいな話を聞いたことがある。
アメリカの番組は、本人とその家族を交えて円陣を組むところから始まるのも日本との大きな違い。「今日はデビーのために集まりました。さぁデビー、今日の気分は?」みたいなスタート。たまにデビーが感情的にオカシクなってくると「dignityがどうのrespectがどうの」という精神論がいきなり出てきて「さぁ、家族のためにあなたの本来の目的を思い出して」みたいな流れになり、グループハグして作業再開となる。
その点、日本の方は淡々としている。本人も出てこないのだから家族のカの字もない。仕事とはいえこの業者さんは見ていて本当に頭が下がる思いがする。どんなひどい屋敷でも顔色一つかえず、見下す態度はみじんもなく、それどころか「お片づけさせていただく」というスタンスで格安なのだから、youtubeでしっかり収益を上げてくださいと思う。
日・米には共通点もある。他人から見たらどう考えてもゴミなのに、なぜ手放せないでここまで至ってしまったのか。
そしてハッと気づく。私が捨てられないと思って戻したこの写真1枚も、他人がみたら全く価値のないものに違いない、と。
さ、がんばろう。