暑苦しく「孤独のグルメ」語らせていただく、第二回。
アマゾン等のレビューを見てるとたいがいは松重さんのゴローを褒めたたえるコメントなんだけど、中には「演技が下手」とか書いている人がいて驚く。
私個人としては、松重さんによる孤独のグルメの真骨頂は、ほぼ無表情に黙々と食べる様子と、モノローグの内容の、脱力するほどのくだらなさが、ミスマッチすぎて妙なワールドを展開しているところが、今までにない新しさだと思う。いや、もちろんそういう演出のドラマは数多くあっただろう。ところが、ほぼそればかりの繰り返しで成り立っているドラマなんて今まであっただろうか(いや、ない)。演技は(もちろんされているのだろうが)、演技してないフツーのオッサンに見えるところが良いんじゃんか。
モノローグのくだらなさ、第一位は、香川から向かった松山での魚料理に「こんぴら舟ふねシュラ・シュシュシュ~」というやつ。あまりにくだらない。こんなモノローグが、コワモテに類する松重さんがほぼ表情なしで食べるシーンとともに展開されるわけである。全編がそんな感じ。
別のコメントを紹介。
ストーリー部分はAVの導入みたいなものと思って見ている
こ、これにはさすがにひどいと思いつつ、妙に言い得ていて感心してしまった。
起承転結の、
「起」は駅に降り立って、ここに来るのは久しぶりだなぁとかいうシーン。
「承」がストーリー部分。この部分が「結」に全く生かされていない。「承」が何だろうが、あとやることは一緒、みたいな。(いやでもAVはひどいだろう)
ちなみに「転」が腹が減った、というシーン。そこは多少「承」を受けていることもあるが、伸びをしたら腹が減ったなんて回もあって、腹が減る理由はもはや何でもいいらしい。で、「結」でひたすら食べるわけである。
さて、私が孤独のグルメにハマったのは今年の4月で、それまでは一切見たことがなかった。4月から毎日1話ずつ視聴してきて3ヶ月。私自身ものすごく影響を受けたことがある。それは、「いただきます」と言って食べはじめて、食べている間は食に集中すること。スマホ見たりとかテレビ見ながらとかがなくなった。お腹と相談しながら「これならまだいける」とか言いながら食べ、最後に「ごちそうさまでした」で終わる。
これって実は究極のマインド・フルネスじゃないですかね…「いま・ここ」に集中。関係あるのかわからないけど、実は体重が少し減った(五郎さんありがとうございます)。
そうそう、以前は仕事しながら食べることも多かった。今はそれは、なるべくしない。ゴローは、仕事中は食事のことは忘れている。一段落ついたところで空腹を思い出す。やっぱり食事って、気がかりなことを一段落させてから楽しみたいですよね。
あともう1点、見習うべきは、五郎の「ラスト30cmの工夫」。
食材は、下手すると海外から何千マイルも旅して料理人の元に届きますよね。そこで料理人による調理が加えられ、テーブルに届く。
ゴローは、最初の1口はそのままを味わうけど、食べ進むにつれていろいろ工夫を始める。テーブル上にある調味料を使うのはもちろん、食材どうしを組合わせて勝手にサンドイッチしてみたりとか、勝手に丼にしてみたりとか。
…とまぁ思いつくままに語ってみましたが、Season11はあるのでしょーか。めちゃくちゃ楽しみにしてます。食べる量を減らして構わないから松重さんのゴローをずっと見ていたいです。
書いているうちに「五郎」と「ゴロー」の記述が入り乱れてしまったけど、私にとって原作は五郎、あとシーズン1から3ぐらいまでの、比較的真面目な時代は五郎。それ以降はどんどん3枚目のキャラが立ってきて、「ゴロー」って印象になってきたなぁ。