韓国ドラマ、お腹いっぱい、箸があがりませんー、状態になってしまい、ここ1年はほとんど新しいやつを見ていません。
そんな折、こないだテレビでたまたま昔の日本のドラマ、「愛していると言ってくれ」の紹介を見かけた。たぶん久々に再放送をするからだと思うんだけど。リアルタイムでは全く興味がなく、あらすじも出演者も知らなかったけど、タイトルだけは知っていた。この紹介番組を見て「ほ~、そういうことだったのか」と思って、ネットに落ちている画質サイアクの動画を拾い見。
「そういうことだったのか」というのは、この変なタイトルですよ。もう今さらネタバレがどうのってこともないと思うので書きますけど、最終回の3分の2ぐらいまで見てはじめて意味がわかるという仕組みになっております。すげーわ。このタイトルを考えた人もすごいし、これにしようと決めた人もすごいな。
トヨエツ演じるコウジは聴覚障がい者。7歳までは聞こえていたので、その気になれば話せるんだけど、発声を笑われて以来ぜったいに話さない。
10歳年下の彼女は常盤貴子演じるヒロコ。女優の卵。かつて話題になった「ルールズ」で定義するところの違反ガールで、コウジとの恋愛に夢中になって劇団はサボりがち。で、元カノに嫉妬したり空回りしたりして自滅してこの恋愛は一旦エンド。
もう無理だからお別れしましょうという段になり、コウジが最後に「君の声が聞きたい」と言うんですよね。「どうやって?」と尋ねるヒロコに、「声は響く」というコウジ。彼を抱きしめて、「何と言おうか?」と尋ねるヒロコ。そこで、手話で「あ・い・し・て・い・る」と示して、ヒロコの唇を指さし、そして手話の「言う」の形をするんです。
つまりですよ、「愛してる」「あなた」「言う」を手話で示したのであって、「言ってくれ」という語調だと感じたのはヒロコなんです。
「言ってくれ」っていう語調は、依頼というより命令形に近いと思うんだけど、ヒロコはこれまでコウジの優しさにゾッコンになりながらも、彼には強引さがなく、自分ばかりがこの恋愛に夢中になっているようで寂しい思いをしてきたんですよね。そのコウジからの、最後のお願いがタイトルになっているわけです。
他にもこのドラマにはいろいろ思うところがありました。まず、この素敵な国は一体どこの国なんだろうかと。
贅沢さえしなければ、バイトで一人暮らしして劇団員で何とか生活できる。コウジは才能ある画家でぼちぼち売れもするんだけど、すごい有名ってわけでもない。それでも井の頭公園ちかくの古民家で一人暮らしができる。ついでに言えばスモーカー。タバコなんて今では贅沢品!
なんかもう豊かだな~と羨ましくなってしまいました。何とかバイトでも生きていける国じゃないと文化なんて育ちませんよね。
トヨエツが一躍スターになった理由もよ~くわかった。コウジはクールな外見をしてるけど、すっごい優しいんだよねー。ヒロコが絵を台無しにしても、ひどいことを言っても、怒らない。ひどいことというのは、元カノへの嫉妬が高じてつい発してしまった暴言で、「手話ってすごい疲れる。あなたと居ても好きなCDも聞けないし」と言うんですよ。これはダメだろー、人として。でも、傷ついたのはむしろ彼女の方で、そんな彼女が彼の元に戻るのに敷居が高くないように配慮してくれる。
つまみ食い視聴なのでまた感想書くかもしれませんが、とりあえず今日はこの辺で。