愛の不時着の中でヒロインのユン・セリが「朝鮮半島が統一すればいいのに、せめて行き来できるようになれば…」とつぶやくシーンがあります。
(私も心からそう思います)
以前、ちきりんさんのブログで「北朝鮮は崩壊しません」というエントリーを読みました。理由は3つで、
- 北朝鮮で既得権を得ている人たち(すなわち国を動かす力のある人たち)がそれを望むはずがない
- 北朝鮮経済を丸抱えすることになる韓国もそれを望んでいない
- 国境近くに米軍がやって来ることを思えば中国もそれを望んでいない
ということだったと記憶しています。
ドラマを見終えて、2つ目の「経済」問題についていろいろ思うことがありました。
ドラマの中では北朝鮮が「三丁目の夕陽」的に美しく描かれています。それがリアルか否か、私には知るすべがありませんが、ここではリアルだと仮定します。
そこに住む人々は(平壌の富裕層を除いて)貨幣経済の中で生きているわけではありません。生き抜くために必要なスキルは、薪などの生活物資を調達し使いこなせること、停電しても生活できること、夜目が利くこと、方向感覚が優れていることなど、機械に頼らない暮らしがベースとなります。
一方、近代国家ではパソコンスキルがあること、アプリを使いこなせること等が当然のベース。北朝鮮で輝いている人が韓国にやってきたところで、「かっこいいスキーのインストラクターと都会で会ったらガッカリ」現象が起きるでしょう。
その人物が輝ける環境というものがある、ということです。
貨幣経済をベースに統一したら、北朝鮮は「貧乏で可哀想な人たち」になってしまい、韓国は「お荷物を丸抱えする」ストレスに陥りそう。
せっかくの「三丁目の夕陽」を台無しにしないためには、無理に統一するのではなく、お互いの価値観を尊重する「共存コース」がいいように思うのですが…
ブータンが日本の隣にあったとして、無理に統一したって双方にいいことなんかありません。ブータンはブータンだからこそ美しいのであって。
さて。
ここで、アフターコロナの世界の(あまり考えたくもない)シナリオを想定してみます。
経済をなんとか救済するために紙幣をじゃぶじゃぶ刷ってハイパーインフレやら預金封鎖やら財産税やらが起きた世界です。
そうなったら…お金はただの紙切れになりますから、生きるためのスキルとして尊重されるのは、そう、ドラマで描かれていた北朝鮮の村のような感じになるでしょうね…
日本は管理されない社会の良さを享受してきましたが、コロナ渦という異常事態においてはリーダーシップのなさが裏目に出て、給付金はおろかマスクすら迅速に行きわたらない社会だということが露呈してしまいました。
ロックダウンなんかもちろん無理で、外出自粛と言われようが皆けっこう自由に振る舞っています。
コロナが長引くようなら、管理社会(社会主義国家)がいい、と言うつもりは毛頭ありませんが、ソフトな社会主義で、ある程度の自由を手放す代わりに、ベーシックインカムなどの安心を受け取れる社会を指向するような動きが、出てくるやもしれません。
お金の価値が下がり、機械に頼らず衣食住を営むスキルが価値を持つ、ソフトな社会主義がアフターコロナだとしたら…北朝鮮はもしかしたらかなり優秀な国家になるかも!?
先ほどブータンの例を挙げましたが、私が懸念する北朝鮮の大きな問題点は、長年の恐怖政治によって、人々の思考が停止していないか、ということです。
どうか、資本主義を悪と排除するのではなく、違う価値観を尊重できる思考を持っていてほしい…まぁそういう意味では日本に住んでたってできる人はできるし、できない人はできないでしょうがー。
コロナ関連ではテレビだけでなくyoutubeから多くの情報を得るようになり、youtuberの中には
- 大勢の人々を効率良く管理するには、恐怖を与えるのが手っ取り早い
というメッセージを発している人たちがいます。
回復した人の情報や、感染しても発症していない人の「良かったね情報」よりも、感染者数や死者数などの「困ったね情報」を大きく報道する。報道のやり方ひとつで1つのニュースの景色をがらりと変え、人々を怖がらせることなんか簡単なのだと。
政府が発表するニュースだけを見ていてはイカンなぁと思うこの頃です。